お笑い

佐々木郎希の父は3.11で亡くなっていた!家族の絆が素晴らしい!




高校生で163kmを出し、2019年の甲子園出場が叶えば大注目となる大船渡高校の佐々木郎希投手

メジャーリーグのスカウトも注目する逸材ですが、小学校の時に悲しい出来事を経験していました。

それは2011年に起きた東日本大震災でした。

佐々木投手のご家族が被災し、非常に辛い思いを経験されたようです。

しかし、その悲しみを乗り越え「令和の怪物」と呼ばれるまでになった背景には、兄の存在が大きかったそう!

そこで今回は、「佐々木郎希投手のご家族の絆」について調べてみました!

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2011年の東日本大震災で父が他界

2011年3月11日に起きた東日本大震災は、東北の風景を変えてしまいました。

テレビから流れてくる津波や福島原発の事故の映像は、現実と受け入れられない程の衝撃を与えました。

佐々木投手はこの震災で父・攻太さんを亡くされています

まだ佐々木投手が小学生の時ですから、その悲しみは相当なものだったと思われます。

この辛い状況で家族を支えたのが、長男・琉希さんだったそうです。

母・陽子さんも「長男として父親の代わりをしてくれた」とおっしゃっていますから、琉希さんは素晴らしい方のようですね。

そんな人格者の兄の背中を、佐々木郎希投手は野球でも追っていたようです。

琉希さんは現在(2019年)20歳で、佐々木投手の3つ上になります。

大船津高校のOBでもあり、高校時代は4番を打つなど佐々木投手にとっても憧れの存在なんだそうです( ・∇・)

二人は幼少期からキャッチボールをよくしていたそうで、兄弟の仲も良かったようです。

琉希さんは、野球に関しても兄として自分が経験した事を佐々木投手に伝えていたようですが、中学校ぐらいまでは納得しないと家に帰ってしまうようなこともあったそうですσ^_^;

しかし、この頑固さが今の「令和の怪物」を作り出した面があるようです!

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中学3年から野球への取り込む方が変わった

琉希さんは、自分で考えて自分にあっている事をやるのも大切とおっしゃっています。

佐々木投手が自分で考えるようになったのは、中学3年で140kmをマークしてからだと言います。

今までと打って変わり、琉希さんに色々質問するようになったそうです。

琉希さんも佐々木投手の成長を実感したでしょうね。

その後は兄の背中を追って大船渡高校へ進学し、163kmを出す「令和の怪物」と騒がれるようになるわけですが、今の佐々木投手の土台を作ったのは間違いなく兄・琉希さんの存在があったからと言えそうです。

最後に

ここまで、佐々木郎希投手の家族の絆について見てきました。

東日本大震災で父を亡くした悲しみを乗り越えられたのは、兄・琉希さんの存在が大きかったようです。

父親の代わりとして家族を支え、今やメジャーも注目する佐々木郎希投手の土台を作った琉希さんは、素晴らしい方ですね。

佐々木投手の試合にも足を運んでいらっしゃるようで、佐々木投手のの活躍を誰よりも喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。

これから甲子園、プロ野球、メジャーリーグまで夢が広がる佐々木投手。

天国のお父さんもその活躍を喜んでいらっしゃるでしょうから、これからの勇姿に期待しましょう!

最後まで読んでいただきありがとうございました(^。^)

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