
今やすっかり売れっ子ナレーターとして定着した落合福嗣さんですが、子供の頃は”悪童”と呼ばれるなど様々な伝説的エピソードを残しています。
親が超一流プロ野球選手の落合博満選手というのは、普通の家庭とは違う大変さがあったようです。
そんな悪童とまで呼ばれた福嗣さんは、なぜ有名ナレーターになれたのでしょうか?
そこで今回は、「落合福嗣伝説」「なぜ有名ナレーターになれたのか」について書いてみました!
マスコミとファンは敵!?

福嗣さんにとって、マスコミとファンは敵だったそうです。
父が三冠王の落合選手ですから、当然マスコミやファンは落合選手を追い掛け回します。
当時は、家まで押しかけたりするのも普通でしたので、福嗣さんはそこで戦っていたようです( ・∇・)
プロ野球選手は、基本的に休みは月曜日だけのため、お父さんと遊べるのは月曜日だけだったそうです。
動物園に連れて行ってくれると喜んでいても、玄関を出ればスポーツ記者がいて、動物園に行けばファンに囲まれて親子水入らずを邪魔されてしまったんだそうσ^_^;
親が有名人ならではのエピソードですね。
このままではお父さんを独り占めできないと思った福嗣さんは、対抗策を考えます!
「スポーツ記者の人を蹴る」「靴にアイスを突っ込む」「持ち物を隠す」などを実行したんだそうw
大人からしたらかなりきついイタズラですが、福嗣さんは当時はとにかく必死だったそうで、「持ち物を隠せばその人はお父さんのそばからいなくなる」と思い大人と戦っていたそうです。
ただ、これだけ色々戦っても幼少期はマネージャーさんがいつも一緒にいるのが普通で、ほとんどお父さんを独り占めできなかったそうです。
女子アナのスカートに潜った?
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出典:http://matome.naver.jp
これはなかなかとんでもない事ですが、事実ではあるようですσ^_^;
ただ、幼少期にイタズラ心でしてしまったようで、マスコミは何歳の時にやったのかを報じないため、物心ついてからやったのではないかと思っている人も結構いるんだそうσ^_^;
あと、ちょっとここでは言えないような完全なセクハラのようなこともしてしまったみたいです。
札束をばら撒いた

いくら自由奔放に育てられてるとは言えこれはないだろうと思いましたが、事実でした(*゚▽゚)ノw
しかもテレビ報じられたそうで、その番組も福嗣さんが札束をばら撒いているところで終わってしまったそうです。
テレビ局の悪意を感じますねww
当時の福嗣さんも小さかった為まだお金の価値がわからず、1万円札をいつも折ってる折り紙ぐらいにしか思っていなかったようで、ばら撒いて遊んでいるところをテレビに映されてしまったそうですσ^_^;
落合選手が日本人初の1億円プレーヤーとは言え、家に1万円札がバラまけるぐらい置いてあるのが凄いですね。
なぜ悪童が有名ナレーターになれたのか

これだけ奔放に育てられた福嗣さんが、なぜ有名ナレーターになれたのか?
それには、落合家の「人としての教育」がきちんとされていた事があったようです。
落合家の掟として「お金を粗末にすること」「嘘をつくこと」「相手に暴力を振るうこと」は絶対にしてはいけないと言われていたそうです。
まさに人としての基本ですね。
これを破った時にはすごい怒られたそうですが、逆にそれ以外はほとんど何をしても良かったんだそうです。
後、何事にもチャレンジする事を進めていたそうです!
「一度やってみる → 失敗する → 失敗した原因を考えて次に活かす」という本人の体験を重視した教育方針だったそう。
これによって、「自分で気づく」事が出来るようになり、人格形成に大きな影響を与えたようです。
昔の福嗣さんのイメージしかないと、「あのフクシくんが!?」と思ってしまいますが、やはりきちんとした人格形成の教育はされていたようですね( ・∇・)
声優の世界に飛び込むのはかなり勇気のいる事だと思いますから、「まずやってみる!」という落合家の掟が背中を押してくれたのかもしれません。
これは私たちも学びたい姿勢ですね。
最後に
ここまで、「落合福嗣さんの子供の頃の伝説」と「なぜ有名ナレーターになれたのか」について見てきました。
悪童と呼ばれた福嗣さんの伝説は破天荒なものでしたが、その反面、落合家のきちんとした教育方針の元で福嗣さんは育っていました。
その教育があったからこそ、今の有名ナレーターでの活躍があります。
最近ではサンジャポでのナレーションも務めるなど、どんどん活躍の場を広げている福嗣さんの今後に要注目です!
最後まで読んでいただきありがとうございました(^ ^)