村上茉愛、演技後の涙「緊張がほぐれて出た」/体操 – SANSPO.COM https://t.co/g2bSaXr6HF @sanspocomさんから
— Kamiちゃん (@kamichan19) 2018年11月1日
カタール・ドーハで開かれた、体操の世界選手権・女子個人総合で村上茉愛選手が銀メダルを獲得しました!
最終種目の床運動で3人を抜く大逆転を演じ、66年ドルトムント大会の池田敬子さん、09年ロンドン大会の鶴見虹子さん以来となる日本女子史上3人目の快挙を達成しました。
今年は怪我に悩まされましたが、それを乗り越えてのメダル獲得は、精神力のタフさゆえですよね。
そんな村上選手の強靭なメンタルは、母である英子さんの存在無くしてはあり得ませんでした。
現在、英子さんは美容室を経営していらっしゃいますが、その美容室を始めたきっかけが感動的なんです!
又、中学生の時に、大怪我をしてどん底にいた村上選手にかけた言葉も凄く、英子さんの子供に対する愛情がわかります!
そこで今回は、「村上茉愛の母・英子さんの生い立ち」「母・英子さんが美容室を始めたきっかけ」「村上選手が大怪我をした時にかけた言葉とは」
について調べてみました。
村上茉愛の母・英子さんの生い立ち

英子さんは、弟と妹がいる母子家庭で育ちました。
習い事は、文科系のエレクトーンなどは大嫌いだったそうですが、運動は好きだったそうで、中学では体操部に入ります。
そうすると、みるみるうちに上達し、地元の大会で人生で初めて人前で表彰されてメダルを首にかけてもらったそうです。
母子家庭での生活は辛かったと語っていますが、初めて自分を誇らしく思えた瞬間だったそうです。
ただ、ここから壁にぶち当たり、伸び悩みます。
その理由を考えていると、一つの結論に至ったと言います。
「自分は体操を始めるのが遅かった」、、、と。
世界で活躍する選手を見ていてもわかりますが、トップレベルの選手は幼少期から既に体操を始めています。
中学生から始めて、最初は才能もあり少しは結果が出ましたが、頭打ちになってすぐに、英子さんは目標を切り替えます!
卒業したらすぐに結婚して子供をたくさん作ろう!
私の子供なら、きっと五輪でメダル取れるような体操選手になるはずだ!
σ^_^;
なかなか衝撃の切り替えと目標ですよね笑
将来この目標が現実になるわけですが、英子さんは高校卒業後はOLとして働き、体操選手の方と結婚します!
旦那さんに体操選手を選ぶのも凄いですね(*゚▽゚)ノ
そして、1993年の25歳の時に長男を出産するわけですが、茉愛さんは3番目の次女として1996年に生まれます。
目標通り、子供達全員を幼少期から体操教室に通わせました。
当時は、長男が妹二人の先生の役目だったそうです。
そして、体操経験者である英子さんは、茉愛さんの実力を幼少期から見抜いていたと言います。
体が柔らかく、オムツを替えるだけで体が柔らかいのがわかったそうです(*゚▽゚)ノ
又、幼少期から物怖じしない強靭なメンタルの持ち主だったそうで、体操教室の先生も絶賛したそうです!!
その後英子さんは、2人を出産し、子供は男2人女3人の計5人となりました!
ここでもう一度、英子さんの目標を思い出してみると、子供を体操選手にする事!でしたσ^_^;
なので、5人全員を体操選手にするには、当然たくさんのお金がかかります。
ここで、英子さんは美容師になる決心をします!
母・英子さんが美容室を始めたきっかけ
美容学校を卒業しているわけではない英子さんは、まず通信教育を受けて、美容室に弟子入りするところから始めたそうです。
相当の苦労だったと推察できますが、現在のお店を開業するのは茉愛さんの誕生がきっかけだったと言います。
バルセロナオリンピック銀メダルの池谷幸雄さんが、都下の小平市で体操スクールを開く話を聞いて、神奈川県の相模原から小平に引っ越します。
旦那さんがそのスクールの講師になり、2005年4月に英子さんはスクールの近くで美容室を開業することになりました。
子供達の為に英子さんは必死に働き、2012年に全日本美容技術選手権の中振袖着付け競技部門金賞を受賞するまでになりました!
現在でも、予約が取れない程の人気のようですよ(*゚▽゚)ノ
子供達もそんな英子さんの背中を追いかけて、長男は中学校教師、長女は美容師、三女は美容学校、次男は体操の実力を伸ばしているそうです!
英子さん経営の美容室「ei」情報
村上選手の母・英子さんは、東京都小平市喜平町で「ei」という名前の美容室を経営していらっしゃいます。
2005年4月に開業し、「ベルジュバンス」という弱酸性の高級ブランドを売りにしています。
ベルジュバンスとは、フランス語で「美しく、若返る」という意味の言葉をもち、 一人ひとりの髪の毛、頭皮を根本からケアし、美しく甦らせる、弱酸性ヘアケアと弱酸性スキンケアの総合ブランドです。
村上選手が大怪我をした時にかけた言葉とは
村上茉愛選手は、中学生の時の大会で左ひじの骨と軟骨の剥離という大怪我をしてしまいます。
ひざの骨軟骨片をひじに移植する手術を受け、3カ月は走ることもできない安静生活を余儀なくされました。
泣きながらリハビリをしていたそうですが、その辛さから3日間ほど教室をサボって逃げ出したこともあったそうです。
そんな村上選手を救ったのが、英子さんでした!
リハビリの辛さに、「体操をやめたい」と漏らした事があったそうです。
村上選手は、「もうちょっと頑張りなさい」という励ましの言葉が返ってくると思っていたそうですが、英子さんからは思いもよらない言葉が返ってきました。
なんと英子さんは、「じゃあやめれば」と言い放ったそうです!
村上選手は、この言葉に「ムカッときた」そうで、腹が立つのは「なんだかんだ体操が好き」だからなのかと考え直したそうですよ。
この一言で、「できなくても体操に行こう」と前向きな気持ちを取り戻したんだとか!!
まさに茉愛さんの性格を知っている英子さんだからこそ出来たアドバイスでした!
この時の一言がなかったら、金メダルも今回の世界選手権銀メダルの快挙もなかったんでしょうね!
最後に
今回は、日本女子初の個人総合銀メダルを獲得した村上茉愛選手と母・英子さんのエピソードについてみてきました。
村上茉愛選手の活躍の陰には、偉大な母・英子さんの存在があったんですね( ・∇・)
努力家の母親の背中を見ていたから、村上選手も怪我や困難を乗り越えて今回の快挙を達成できたんでしょうね!
次は2020年の東京オリンピックが目標になるでしょうから、村上茉愛さんから目が離せませんね!
最後まで読んでいただきありがとうございました( ^ω^ )