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雅子様の皇后は無理!?過去の病状から現在の状態までを考察してみる

世の中はゴールデンウィークに入り、長い休みの方だと10連休と言われていますが、この連休中は日本国民にとって重要な儀式が控えています。

休みの真っ只中である5月1日に、今上天皇が生前退位をされ、皇太子さまが新天皇として即位されます。

いよいよ新しい令和の時代が始まりますが、気になるのは同じく新皇后になられる雅子さまのご体調です。

 

 

適応障害と診断されてからかなりの月日が経ちますが、現在は愛子さまの学校行事などにも顔を出されているようで、少しづつ体調は回復されているように思えます。

しかし、「雅子さまは、皇后さまのご公務は無理ではないか」との声が聞かれるのもまた事実で、多忙なご公務に対する心配の声も上がっています。

そこで今回は、「雅子さまのご結婚」「雅子さまと適応障害」「過去から現在の病状」「皇后さまのご公務」について書いてみました!

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皇太子さまと雅子さまのご結婚

 

まず初めに、皇太子さまと雅子さまのご結婚について触れておきます。

雅子さまが皇太子さまとご結婚されたのは、今から16年前の1993年(平成5年)6月9日でした。

皇太子さまは以前から、理想のお妃様として民間の方を望まれてきました。

「自分と価値観や金銭感覚・趣味や関心が合い、家柄や身長云々よりも世間知らずでなく他人の心が分かり、人の苦しみや悩みを推し量ることができる、必要な時には自分の意見をしっかり言える女性が理想」

出典:Wikipedia

人柄を重視されていたのがわかりますね。

そこへ、元外交官の中川融氏の紹介で、1986年10月18日スペインのエレナ王女を迎えた東宮御所でのパーティーに小和田家一同が招かれ、皇太子さまはここで雅子さまに好感を持たれたました。

当時の雅子さまは、外交官に受かったばかりであり、パーティーには外交官としての経験を踏む意味もあり出席したんだそうです。

そのため、このパーティーにお妃候補としての顔見せの意味があったことは、小和田家の方は知らなかったそうです。

その後、報道の影響によってお妃候補から外れますが、再び皇太子さまのアプローチにより、雅子さまはご結婚に対する思いを強くされていきます。

「国のために貢献したい」との思いの強い雅子さまは、当初は外交官として日本のために働いていきたいと考えられていましたが、皇太子さまと接していく内に「皇室での公務も日本のためになるのではないか」とのお考えに至ったと後に語っていらっしゃいます。

このようにして、皇太子さまと雅子さまは1993年にご結婚をされるに至りました。

雅子さまと適応障害

雅子さまは皇室に入られてからは、日々のご公務に尽力されていましたが、2003年12月に当然入院をされます。

雅子さまの病状について、医師団が公表した病名は「適応障害」でした。

適応障害とは、生活の中で生じるさまざまなストレスにうまく対処することができず、抑うつや不安感などの精神症状が現れて日常生活に支障をきたす病気のこと。

出典:Medical Note

生活の中でのストレスが原因の病気です。

この時の雅子さまは、愛子さまを出産された後であり、初めての子育てに対するプレッシャーも相当なものであった事は想像がつきます。

そして、一番の原因といわれるのが、当時問題になった宮内庁長官の人格否定発言でした。

2004年、欧州3か国歴訪を前にした記者会見で、皇太子が発せられた言葉は世間に衝撃を与えました。

それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です

保守的な立場の宮内庁が、外務省出身の国際派である雅子さまをよく思っていなかったという事です。

これは、一般に置き換えてみると「嫁いだ先の人たちが、自分の悪口を言っている」ということになります。

余程メンタルの強い人でない限り、精神的ダメージを受けてしまうのは間違いのないところです。

本当にヒドイ発言だと思いますが、ここから雅子さまの闘病が始まります。

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過去から現在までの病状

療養生活に入られた雅子さまですが、1年後の2004年11月にはご自身の胸の内を次のように語っていらっしゃいます。

本格的に公務を再開するのにはまだしばらく時間を要するかもしれませんが、早く元気な姿をお見せできますよう、関係者の皆様のお力添えをいただきながら引き続き回復に努めていきたいと存じます

出典:NEWSポストセブン

適応障害は、障害の原因になった環境から離れることが1番の治療と言われています。

職場でメンタルが壊れてしまった人は、少し休んで別の職場にいったら回復したという話もあるぐらいです。

もちろんこれはケースバイケースにはなりますが、雅子さまの場合は皇室に入られていますから、職を変える事は出来ません。

ですので、原因となった環境になんとかご自身を適応させていくしか方法がなかったわけです。

これは本当にお辛い状況だと思います。

その状況で愛子さまの子育てをされていたわけですから、当時は一番苦しい状況だったのではないでしょうか。

愛子さまが学習院幼稚園へ入学

やはり愛子さまのお力なのか、2006年4月に愛子さまが学習院幼稚園に入学されると、少しずつ雅子さまのご体調も回復されます。

体調がいい時には、幼稚園の送り迎えも積極的にされている姿が目撃されています。

ママ友ともお茶会をされるなど、交友関係も順調なご様子でした。

8月の夏休みには一家でオランダを訪問され、2週間ご静養されるなど、少しずつ体調は回復されているようでした。

悠仁さまの誕生で、後継問題の重圧が薄れる

そして、悩まれていた天皇の後継問題の重圧からも解放されることになります。

2007年9月に、秋篠宮家に長男の悠仁さまが誕生され、後継問題の重圧が薄れる事になりました。

現在の皇室典範では、愛子さまは天皇にはなれませんので、悠仁さまのご誕生は大きな出来事となりました。

愛子さまが学習院初等科へ入学

2008年4月には、愛子さまが学習院初等科に入学され、校内でも雅子さまの笑顔を見たという情報が流れるようになりました。

運動会にも参加され、ママ友とは子育ての事などで情報交換されるなど、病状は順調に回復されているようでした。

2009年1月には、美智子さまの名代として宮中祭祀に出席するまでに回復されます。

雅子さまのご体調について、2010年2月に東宮職医師団は次のように発表しました。

〈5年半前とは較べられないほどに良くなられた〉
〈ストレスを感じ悩まれることがおありになっても、比較的早く立ち直られる〉

出典:NEWSポストセブン

医師団からの発表は、病気の完治が近づいている事を思わせる内容でしたので、周囲も国民も元気な姿の雅子さまが再び見られる事を期待しました。

しかし、ここで思わぬ問題が起きてしまいます。

愛子さまの小学校のいじめ問題で再発

それは、愛子さまの小学校でのいじめ問題でした。

東宮職医師団の発表からわずか1ヶ月後、当時の野村一成東宮大夫から衝撃の発表がされる事になります。

愛子さまが、3月初めから学校を休まれている事の原因についての言及でした!

「同じ学年の別の組に乱暴なことをする児童たちがおりまして、宮さまを含め他の児童に乱暴をしていることが理由と判明しました」

出典:NEWSポストセブン

これは、言ってしまえばどこの学校でもあるようなやんちゃな男の子が同級生にちょっかいを出した程度のことでした。

ただ、感受性が豊かで敏感な愛子さまは、このちょっかいに対して驚いて恐怖を感じられてしまったのです。

これに対し、雅子さまは「母親としてわが子を守らなければならない」とひどく思いつめたご様子だったようです。

この事が、再び雅子さまの心身のバランスを崩してしまう事になります。

この会見の3日後から、愛子さまは雅子さまとの「同伴登校」をされるようになり、それは1年9ヶ月もの期間に及びました。

「最初の頃、雅子さまは愛子さまと一緒に登校され、教室の後ろで授業を参観されました。音楽や図工などで教室を移動する際は雅子さまが自らパイプ椅子を持って移動していましたね。給食も、愛子さまは教室で食べるのではなく、別室に入って、お2人でとられていました」(前出・学習院関係者)

出典:NEWSポストセブン

雅子さまは愛子さまに付きっきりの生活になっていました。

そんな生活の中で、山中湖騒動が起きてしまいます。

山中湖騒動で更に体調は悪化していく

2011年9月、山梨県の山中湖で行われた学習院の3泊4日の校外実習に、雅子さまが同伴で参加されました。

通常、初等科のお泊まり学習には保護者の同伴は認められないようで、雅子さまは時間差で現地に向かわれました。

当時は、警察や白バイが10台連なるなど物々しい厳戒態勢でした。

ここで問題になったのは、雅子さまが愛子さまに付かず離れずの行動をしている事で、通常の校外学習とは異なる状況になってしまっている事でした。

校外学習は、親からの自立の一歩としての位置付けでもありますから、そこへ雅子さまがついてきては校外学習の意味がなくなってしまうとの意見があったようです。

愛子さまの付き添いとこうした批判の中で、雅子さまは心身共に疲弊されていきました。

しかし、海外訪問が再び体調回復の転機になりました。

オランダ訪問が転機に

2013年4月に、11年ぶりとなる海外公式訪問でオランダを訪れ、新国王の王位継承行事に出席されました。

海外へのご公務と愛子さまの問題が収まってきたこともあり、雅子さまの体調は快方に向かっていました。

帰国後は、東日本大震災の被災地を訪問されるなど、ご公務にも積極的に参加されていました。

雅子さまは、ご自身の体調について同年12月の50才の誕生日に際し、文書で次のように述べられています。

〈私自身につきましては、昨年の誕生日以来、今年も、体調に気をつけながら、公私にわたってできる限りの務めを果たそうと努力をしてまいりました〉

出典:NEWSポストセブン

コメントから、以前より体調が良くなっている事が伺い知れます。

しかし、愛子さまの学習院中等科進学後、新しい問題が発生してしまいます。

愛子さまが学習院中等科を登校拒否に

愛子さまは、2014年4月から学習院女子中等科に進学をされましたが、環境に馴染めず、6月以降は遅刻と欠席を繰り返すようになっていました。

最終的には「登校拒否」の状態になってしまい、初等科時代のトラウマを繰り返してしまった事に、雅子さまは大変気を落とされてしまいました。

6月のスイスご訪問も取りやめるなど、しばらくはご公務も控えられていました。

そしてその後、愛子さまの激やせ報道がされる事になります。

愛子さまに激やせ報道

 

愛子さまの激やせ報道が出たのは、2016年12月の事でしたが、確かに写真を見ても以前からはかなりほっそりされているのがわかります。

当時は、心身の不調からくる拒食症が心配されていましたが、これを思春期の通過儀礼と見る見方もありました。

2年生になると、愛子さまはお友達も出来て学校を休まれる事もなくなり、オシャレにも気を配られるようになりました。

痩せたのは、お年頃の愛子さまがお洋服がより似合うようにとダイエットをされたのではないかとも思われていました。

ただ、仮にダイエットをされていた事が事実であったとしても、登校拒否をされた過去もあり、以前のお姿と比較してもかなりほっそりされたのは事実ですので、心身の不調から拒食症になられたのは事実だと思われます。

ただ、この愛子さまの激やせが、雅子さまの考え方に変化をもたらしたようでした。

完璧主義を捨てた

雅子さまは、まさに才色兼備のスーパーウーマンという言葉がぴったりの素晴らしい方です。

しかし、それが全ての物事に対しての「完璧主義」につながってしまい、愛子さまの子育てにも完璧主義を求めてしまっていました。

今回の激やせについても、愛子さまを説得されたようですが応じなかった為、「親がいくら努力しても、子供は親の思い通りにはならない」「子育ては完璧にはいかない」と考えられたようです。

適応障害や精神の病は、完璧主義の人がなりやすいとも言われますので、雅子さまはここで大変素晴らしい気づきをされたのかもれません。

子育てについて完璧主義を捨てた事が、その後のうつ状態を抜け出すきっかけになっていきました。

愛子さまの学習院高等科入学と子離れ

2017年4月、愛子さまは学習院女子高等科に内部進学をされました。

高校生になった愛子さまは、激やせしていた体重も元に戻り、今までは人前でも笑顔を時折浮かべる程度だった愛子さまが、ご自分から笑顔を浮かべて、手を振られるようになりました。

雅子さまは愛子さまの確かな成長を実感され、非常にご安心されたのでしょう。

この頃からご公務にも復帰されるようになり、ご病気になられて以降、一番のご公務を果たされました。

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2018年から現在までのご体調は

2018年は、愛子さまが7月にイギリスのイーストイン校のサマースクールへ留学され、初めて単独での海外訪問をされました。

校外学習の頃からは考えられない程のご成長ぶりに、雅子さまもお喜びのご様子でした。

雅子さまご自身は、5月に全国赤十字大会に15年ぶりにご出席され、9月の国際水協会世界会議の開会式にはサプライズで出席されるなど、精力的にご公務を果たされています。

悠仁さまがご誕生され、愛子さまが自立された事もあり、雅子さまのご体調は確実にご回復されているようです。

ですので、皇后さまとしてのご公務が大変なスケジュールというのはありますが、以前のような問題が山積している状況ではありませんので、現在の雅子さまであれば可能なのではないでしょうか。

5月1日には「即位後朝見の儀」が開かれ、新元号「令和」の時代が始まります。

この時にも元気な雅子さまのお姿を拝見したいものです。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました( ^ω^ )

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