2019年入社のフジテレビ新人アナウンサー・堀池亮介アナが、6月28日(金)放送の「ダウンタウンなう」でテレビ初出演しました!
同じく同期入社の藤本万梨乃アナも出演するとあって注目を集めていますが、堀池アナは父親が凄い大物だと噂になっています!

堀池アナは学生時代はサッカーをしていたそうで、番組予告ではリフティングも披露するそうですが、父親のサッカーの実力はその比ではないようです!
そこで今回は、堀池亮介アナの父について調べてみました!
堀池亮介アナの父は元サッカー選手


Jリーグカード懐かしいですねw
当時Jリーグチップスを購入するとカードが入っていて、カード欲しさにチップスを大量購入なんて事も起きていました。
少し話が逸れましたが、堀池アナの父は、Jリーグカードが物凄く人気のあった1990年代に、Jリーグそして日本代表で活躍したサッカー選手でした!
名前は堀池巧さん。
簡単なプロフィールがこちらです。
- 生年月日:1965年9月6日
- 出身:静岡県清水市
- 身長:173cm
- 体重:66kg
- ポジション:DF
- 利き足:右足
学生時代からその素質はずば抜けてすごかったようですので、その輝かしい成績を見てみましょう!
学生時代からサッカーのエリート
堀池さんは、少年時代から清水FCのメンバーとして活躍し、全日本少年サッカー大会では優勝に貢献しました。
その実績が評価され、高校はサッカーエリートの集まる強豪校・静岡県立清水東高校へ進学します。
1年生の途中まではポジションは右ウイングでしたが、ジュニアユース日本代表の合宿で右サイドバックへコンバートをされ、ここから更に頭角をあらわす事になります。
高校時代は、大榎克己・長谷川健太と共に「清水東三羽鳥」と呼ばれる程有名で、2年生の時には全国高等学校サッカー選手権大会で優勝、3年生の時も準優勝という輝かしい成績を残しています。
実績十分に、大学は順天堂大学へ進学します。
そして大学在学中の1986年に日本代表に選出され、そのままレギュラーメンバーとして定着!
日本代表でのポジションも、高校時代から慣れ親しんだ右サイドバックでした。
代表でのプレーを続けながら、大学卒業後は読売クラブでプレーし、ここでもベストイレブンを4年連続で選出されています。
1992年からは、Jリーグ発足に備えて設立された清水エスパルスでプレーする事になります。
エスパルスでも中心選手として活躍し、1993年にはベストイレブンに選ばれ、まさにサッカー選手として全盛期を迎えていました!
そして、あの歴史的な試合に巡り合う事になります。
ドーハの悲劇のスタメン!?


サッカー日本代表にとって、この「ドーハの悲劇」は今でも伝説的な試合として語り継がれています。
キングカズ、ゴン中山、ラモス率いる日本代表が、このイラク戦に勝てば悲願のワールドカップ初出場となる試合という事もあり、日本中が注目し、視聴率は深夜にも関わらず48.1%を記録する国民的行事となっていました。
そして、この伝説の試合に堀池選手はスタメンで出場していたんです( ・∇・)
こちらがスタメンのフォーメーションです!


右サイドのDFが堀池選手です。
ドーハの悲劇のスタメンって物凄い事ですよね(*゚▽゚)ノ
結果については、日本中がショックを受けましたが、選手の方々は本当に全力で素晴らしい試合を見せてくれました。
堀池選手は、日本代表では1995年までプレーし、1999年に現役を引退されています。
では、引退後は現何をされていたのでしょうか?
引退後の仕事は


堀池さんは、現役引退後は解説者となり、2002年〜2010年まで「やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜」にコメンテーターとしてレギュラー出演していました。
その他にも、サッカーゲームやワールドクラスサッカーの解説を務めるなど精力的に活動。
2014年からは、母校である順天堂大学でスポーツ健康科学部准教授に就任し、サッカー部の監督も務めていらっしゃいます。
堀池監督の元から、将来の日本代表が誕生するのか非常に楽しみですね( ・∇・)
最後に
ここまで、堀池亮介アナの父・堀池巧さんについて見てきました。
まさにサッカーエリートで、伝説の「ドーハの悲劇」のスタメンという凄い経歴の持ち主でした。
現在は、母校の順天堂大学で後進の指導にあたっているようです。
ダウンタウンなうでは、父親の話も出るのか非常に注目です!
最後まで読んでいただきありがとうございました(^ ^)


