2020年東京オリンピック誘致の際に、約2億円の賄賂を渡していたとして、フランス捜査当局から疑いをかけられている日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長(71)ですが、過去にも大きな事件を起こしていた事が明らかになりました!
事は約40程前になるそうですが、交通事故を起こし、被害者の女性が亡くなってしまったんだそうです。
通常交通死亡事故を起こしてしまうと、刑が課せられる事が多いかと思いますが、竹田会長はどうもお咎めなしだったようなのです。
竹田会長は、政治家との関係も深い血縁ですので、影の力が働いたのでしょうか?
今回は、JOC(日本オリンピック協会)会長まで上り詰めた人物の、過去に迫ってみたいと思います。
竹田恒和会長のプロフィール
名前:竹田 恒和(たけだ つねかず)
生年月日:1947年11月1日
年齢:71歳(2019年1月現在)
出身;東京都
学歴:慶應義塾大学法学部政治学科 卒業
現職業:JOC(日本オリンピック委員会)会長
息子:竹田 恒泰
竹田会長は、旧皇族:竹田宮恒徳王の三男で、今上天皇のはとこにあたる由緒あるご家庭に生まれています。
学歴も、慶應義塾幼稚舎から慶應義塾大学まで一貫したおぼっちゃま教育を受けてこられた人です。
1972年には、ミュンヘンオリンピックに馬術競技の日本代表として出場されています。
個人42位、団体16位の成績を残しました。
ここまでの経歴を見てみると、誰もが羨むような華やかな人生を過ごされていますが、この後に事件が起きます。
交通事故を起こす
1974年10月に、茨城の国体大会会場に向かう途中に茨城県内で交通事故を起こしてしまいます。
警察は、事故の原因は竹田会長が対向車のライトに目が眩んだ事だと発表しました。
事故に遭われたのは22歳の女性で、病院に運ばれましたが亡くなってしまいました。
その後、ご遺族との示談が成立したと当時の新聞では発表されています。
竹田会長は事故の責任を取り、全馬術競技の出場辞退を申し出、大会本部に連絡したそうです。
ここまでは当然の流れですから、特におかしなことはありませんでした。
しかし、その後に「裏で力が働いたのではないか」という事が起こります。
裏工作で再び競技復帰?
竹田会長は、事故を起こした1974年10月からわずか2年も経っていない1976年7月・8月に開催されたモントリオールオリンピックに、馬術競技の日本代表として出場していたのです。
不慮の事故だったとはいえ、一人の人の命を奪ってしまっているのですから、通常であれば数年は謹慎期間があるはずです。
仮に1年の謹慎期間だったとしても、数ヶ月の練習でオリンピックに出場できるはずがありませんから、謹慎はほとんどせずに練習はしていたのだと思われますね。
一般人であればオリンピックの出場どころか競技への復帰も難しそうですが、そこは今上天皇のはとこですから、周りの人脈を使って早期復帰を果たしたと考えるのが妥当かと思われます。
マスコミもほとんど報道しなかったそうですから、報道規制が敷かれていた可能性は大いにあります。
現代であればネットで拡散してしまうでしょうが、当時はテレビと新聞しかありませんでしたので、可能性としては高いのではないでしょうか。
そう考えると、ちょっと人間性を疑いたくなってしまいます。
最後に
ここまで、竹田恒和JOC会長について見てきました。
交通事故は悲しい出来事でしたが、その後の対応は人間性を疑うものでした。
ほとんどお咎めなしに競技に復帰できたのは、裏の力が働いたのだと思われます。
JOC会長という重要職務を担うような人物なのかも疑問が湧いてきます。
今回の賄賂疑惑については、実際に渡していた可能性も高いと思われますが、このタイミングでフランス当局がこの問題を出してきたのは、カルロス・ゴーン容疑者逮捕への報復の可能性が高いと思われます。
竹田会長はたまたま狙われた存在ともいえそうですが、注目を浴びることになり過去までも明らかになりました。
もう40年以上前の出来事を騒いでも何も起きませんが、せめてご遺族に対しては自戒の念を常に持っていただきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがろうございました( ^ω^ )