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皇太子様と雅子様の馴れ初めは?意外な出会いとチッソ問題についても

いよいよ4月一杯で32年続いた平成の時代が終わり、5月1日から新元号「令和」が始まりました。

日本中は年明けのようなお祝いムードになりましたが、新天皇陛下と新皇后さまの御即位を祝して、今回は「天皇皇后両陛下のご結婚の馴れ初め」について調べてみました!

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出会い

出会いについては以下の記事でも書きましたので、ここから引用いたします。

雅子様の皇后は無理!?過去の病状から現在の状態までを考察してみる 世の中はゴールデンウィークに入り、長い休みの方だと10連休と言われていますが、この連休中は日本国民にとって重要な儀式が控えています...

皇太子さまは以前から、理想のお妃様として民間の方を望まれてきました。

「自分と価値観や金銭感覚・趣味や関心が合い、家柄や身長云々よりも世間知らずでなく他人の心が分かり、人の苦しみや悩みを推し量ることができる、必要な時には自分の意見をしっかり言える女性が理想」

出典:Wikipedia

人柄を重視されていたのがわかりますね。

そこへ、元外交官の中川融氏の紹介で、1986年10月18日スペインのエレナ王女を迎えた東宮御所でのパーティーに小和田家一同が招かれ、皇太子さまはここで雅子さまに好感を持たれたました。

当時の雅子さまは、外交官に受かったばかりであり、パーティーには外交官としての経験を踏む意味もあり出席したんだそうです。

そのため、このパーティーにお妃候補としての顔見せの意味があったことは、小和田家の方は知らなかったそうです。

その後、雅子さまは高円宮家とも会食をされるなど、順調にご結婚に向けてのお話も進んでいるかに思われていました。

しかし、ここでチッソ問題が噴出してしまいます。

チッソ問題が噴出

チッソ問題とは、「雅子さまの母方祖父が水俣病の原因企業であるチッソの元会長・江頭豊であることに懸念を持つ宮内庁幹部が、東宮大夫・安嶋を通して浩宮さまに再考を促したもの」でした。

しかし、江頭氏は水俣病の問題が顕在化した後に経営再建を託されて同職に就任しており、事件には関係なく法的責任がない事などから、元最高裁判事・団藤重光氏が小和田家を説得しました。

これにより、チッソ問題は解決に向かいましたが、この頃からマスコミの報道が過熱していきました。

マスコミの報道が過熱し、一度は破談に

雅子さまが皇太子さまのお妃候補であることを、スポーツ紙や週刊誌が報道すると、雅子さまへのマスコミの取材はどんどん過熱していきました。

雅子さまの出勤時には取材陣がご自宅の前に押しかけ、帰宅する時には尾行したり、深夜にも暗がりで声をかけるなど、異常な取材は問題になりました。

このような問題もあり、小和田家はお妃候補を固辞する事になってしまいます。

それからも、マスコミは他のお妃候補の女性への報道を過熱させ、中には精神的苦痛を訴える方が現れるなど、社会問題になりました。

その結果、お妃候補と言われた女性は全員が辞退する形となってしまいました。

その間に、皇太子さまの弟である秋篠宮さまがご結婚されるなど、結婚問題がなかなか進展しない事に国民も不安を募らせていました。

皇太子さまの思いは変わっていなかった

しかし、このような状況の中でも皇太子さまの思いは変わっていませんでした。

公の場での発言とは裏腹に、皇太子さまは宮内庁長官・藤森昭一氏に対しては「やはり雅子さんでなくては」という思いをたびたび伝えていたと言います。

その後、1992年に関係者を通じて再び雅子さまに再会を働きかけ、8月16日に宮内庁公邸でお二人は再会を果たされます。

そして、同じ過ちは繰り返すまいと宮内庁は、以前の報道過熱に対する配慮からマスコミ各社へ報道協定を申し入れ、各社がこれを受け入れて報道が自粛されました。

二人きりのデートそしてプロポーズ

慎重に周りの状況が固められていく中で、10月3日、皇室が接待に使用する千葉県市川市の新浜鴨場で、皇太子さまと雅子さまの二人きりでのデートが実現しました。

このデート計画は、情報漏洩を防ぐため、身内のごく一部の人間にしか伝えられておらず、徹底したシークレット状態だったそうで、誰もお二人のデートに気づくことはなかったと言います。

お二人は、鴨場をゆっくりと散策されながらお話をされ、ついに皇太子さまが雅子さまにプロポーズされます!

「私と結婚していただけますか」

皇太子さまは、ストレートに雅子さまに思いを伝えられました。

ただ、雅子さまのお返事は、まだお断りする可能性がある事を示唆するお言葉でした。

お二人は、今後も電話でご連絡をされる事を約束しデートを終えられます。

婚約が内定

皇太子さまからの求婚を受けた雅子さまは、結婚に対するお気持ちに変化が起きるとともに皇太子さまの真摯な姿勢とお言葉に惹かれていきました。

更に、当時は女性の社会進出がまだ進んでいない時代でもあり、外務省でのキャリアの限界も感じておられました。

当時は相当に悩まれたようですが、次第に皇室で役に立つ事が自分の役割だとのお考えが芽生えるようになり、皇太子さまの「皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」という言葉が決め手となり、婚約が内定しました。

最後に

ここまで、新天皇陛下と新皇后さまの馴れ初めについて見てきました。

ご結婚までは相当な紆余曲折がありましたが、皇太子さまの雅子さまに対する暖かい愛情が感じられます。

雅子さまの病状も、現在は以前に比べて格段に回復されているようですので、ご無理のないように皇后さまとして日本のために尽くしていただきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました( ^ω^ )

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